結局のところ人生は、「暇潰し」の集合体でしかない。

あぁ最近は、何か非情な力で忙しさを強いられているけれども。

ここに書こうという内容を、忙しい中ふと思い付くんだけども
その後1日を死ぬほど忙しく過ごし、帰宅しPCの前に座ると忘れてしまう。

これは病気である。そうなのであろう。
痴呆症なのかなぁなんて思いながら、アニメ等を見たり、小説を読んだりしていると 24時を回る。

24時を回ると寝なくてはと頭が命令し、気持ち悪いスピードで床に就く。

この1日の流れも「暇潰し」の一環なのだろうと自分で自分を納得させる。

積み重ねているようで、積み重ねた実感を沸かせない。
積み重ねていない感覚。

そりゃ「暇潰し」に積み重ね等は存在しないのだろうけども。

気が付けば夏が終わろうとしている。何もしていない。
いやしているのかもしれないけれども。実感が無い。

例えば、僕がこの夏の思い出にある漫画のような鉄骨渡りをプレイし
1000万円を獲得したところで、不変なのだ。それも「暇潰し」の一環なのだ。

そんなことを思いながら、今の生活に満足している素振りをしている。

この思考に終わりは無く、思いついたことを並べて全て同じ答えを導き出しているのだ。

そう、僕は海に行きたいのだ。プールでもいい。温泉でもいい。
夏なのだ。今は夏なのだよ。何もしてないんだよ。夏なのに。

祭りも行ってないし、花火も音しか聞いてないんだよ。畜生。

俺もカキ氷が食いたいんだよ。夏を感じたいんだよ。

糞暑い10tトラックの中でしか、夏を感じられないなんて嫌なんだよ。
こんな「暇潰し」嫌だ。

糞暑い駐車場で、よくわからんおっさん・おばさんの言葉の暴力を浴びて
変な部分だけ日焼けをし、ちょっと恥ずかしくなって夏を感じるなんて、嫌なんだよおお。

まぁこんなよくわからない思いつきの言葉の羅列を書きながら
24時を回るのが、僕の人生の「暇潰し」の一環であり、人生なのだ。